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みつなりいえやす てんかわけめのせきがはら
三成VS家康~天下分け目の関ヶ原

天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、朝鮮出兵最中の慶長3年に死去しました。秀吉は、五大老(徳川家康・前田利家・宇喜多秀家・毛利輝元・小早川隆景)と五奉行(浅野長政、前田玄以・石田三成・長束正家・増田長盛)を残し、豊臣家の安泰を図ろうとしました。
しかし、後継者の秀頼はわずか6歳であったため、家康は大名間の縁組などに関わる取り決めを破り、次第にその勢力の拡大を図りました。豊臣家に忠義を尽くそうとする三成は、家康への対決色を強め、ついに毛利輝元を総大将として、挙兵しました(なお、この時三成挙兵の第一報を家康に知らせた長浜城三代目城主・山内一豊の家臣・田中孫作(米原市高溝出身)は、小早川秀秋を説得して東軍へ寝返らせたと云われています)。

慶長5年(1600)9月15日、三成率いる西軍と家康を総大将とする東軍は、関ヶ原で決戦の時を迎えました。濃霧の中、午前8時に開戦。序盤は優劣つかず互角に戦いを繰り広げた両者でしたが、次第に西軍の猛攻に東軍は押され気味になりました。しかし正午過ぎ、三成と同じ長浜生まれの小早川秀秋は西軍を裏切り、西軍・大谷吉継の隊を攻撃しました。善戦した吉継でしたがついに自害へ追い込まれ、ここから西軍は一気に崩れました。午後2時頃には決着し、三成は敗走を余儀なくされました。

決戦地北西に位置する小さな山が笹尾山には、「石田三成陣跡」の碑があります。陣跡には、合戦時に敵の攻撃からの防御として使われた竹矢来・馬防柵が復元されています。合戦当時、島左近を竹矢来の前に配置し山頂で指揮をとったと云われています。関ケ原は、南西にある北国街道が軍事上重要なポイントとなるため、三成は笹尾山に布陣したと考えられます。

(※関ヶ原古戦場は岐阜県関ケ原町にありますが、当スポット情報は「米原エリア」でご紹介しています。)

 

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所在地
岐阜県不破郡関ヶ原町大字関ケ原
アクセス
[公共交通]
JR関ケ原駅から北へ徒歩25分
[自動車]
名神高速道路・関ヶ原ICから約10分
料金
無料
その他
トイレあり
URL
http://www.kanko-sekigahara.jp/
お問い合わせ先
関ヶ原観光協会(関ヶ原町地域振興課内)
TEL
0584-43-1112
FAX
0584-43-2120

施設情報・料金等の最新情報は直接ご確認ください

関連するイベント情報

いざ!関ヶ原『石田三成応援スタンプラリー』
期間 2017年7月22日(土)~2017年11月6日(月)
場所 長浜市・米原市・彦根市・関ケ原町 米原市朝日1342
内容 豊臣家に忠義を尽くし、戦国随一の智将と謳われた石田三成。1600年に起こった天下分け目の大戦「関ヶ原」で熱く盛り上がる2017年の夏、三成ゆかりの地・長浜市、米原市、彦根市で『石田三成応援スタンプラ…

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