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ながのけ
長野家

山内一豊の父盛豊は、弘治三年(1557)にその居城であった黒田城(一宮市)で織田信長の攻撃に合い、討ち死にしました。その後、一豊一家は流浪の生活となり、尾張の浅井氏、美濃の前野氏、牧村氏へ寄寓し、永禄三年(1560)に米原市宇賀野の長野家に落ち着くこととなりました。
長野家は代々この地に伝わる土豪で、歌人在原業平の子孫であると伝えられています。一豊の母・法秀院はその屋敷の一隅で質素な生活を送り、近在の子女に裁縫や行儀作法を教えていましたが、その娘たちの中に隣村の若宮喜助友輿の娘・千代(見性院)がおり、法秀院はその利発さを見初め、元服した一豊の嫁に推したと言われています。
法秀院が没した後、長野家では江戸時代を通じて法秀院の墓所を管理し、命日にあたる一七日には、霊前で読経を行っていました。
なお、長野家には法秀院の法号書のほか、一豊が使用したといわれる轡、黄金が入っていたという鏡箱やふくさ、法秀院がまな板代わりに使用した一升枡(武佐枡京枡の八合)などが残されています。

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所在地
米原市宇賀野
アクセス
[公共交通]
JR坂田駅から徒歩5分
[自動車]
米原ICから約15分
[駐車場]
坂田駅無料駐車場利用
お問い合わせ先
米原市歴史文化財保護課
TEL
0749-55-4552
FAX
0749-55-4556

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