ましたながもりやしきあと
増田長盛屋敷跡
豊臣政権五奉行の一人。現在の長浜市益田町に生まれました。天正元年(1573)28歳で羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に召し出されました。武家事紀(ぶけじき)には「長盛もっとも損得の心計に長ず」とあり、豊臣政権下ではその財政に長けた部分をかわれ、石田三成とともに官僚的な役割を担っていたとされます。文禄4年(1595 )大和国郡山城二十万石の所領を与えられ、豊臣政権五奉行となりました。秀吉の死後、関ヶ原の合戦では西軍の中心として大坂城に入りますが、その一方で家康に密告書を送るなど、東西双方に味方をする形を取ったとされ、西軍敗戦後長盛は、家康に降を願ったが許されず、所領没収の上、高野山に追放されました。
秀吉が長浜城主だった頃の増田長盛の屋敷は、JR長浜駅から300mほど東にあります。長浜信用金庫本店(長浜市元浜町)の西側に石碑が建っています。
所在地 |
滋賀県長浜市朝日町2-13 Googlemapで見る |
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アクセス |
[公共交通]
JR琵琶湖線「長浜駅」下車 徒歩 5 分 [自動車]
北陸自動車道長浜I.C.から10分 [駐車場]
長浜駅周辺に多数あり。 |
お問い合わせ先 |
公益社団法人 長浜観光協会 |
TEL |
0749-65-6521 |
FAX |
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