かいほうゆうしょう
海北友松
天文2年(1533)-慶長20年(1615)
桃山時代の画家。名は紹益(しょうえき)。浅井家重臣の海北善右衛門尉綱親の5男(一説に3男)として現在の長浜市瓜生町に生まれる。幼くして京都東福寺に預けられていたため浅井家滅亡の難を免れた。
画が巧みで狩野元信、もしくは狩野永徳に学んだと伝えられる。40歳代で還俗し、武芸を磨き海北家の再興をはかったが成功せず、画の才能を秀吉に認められ画業に専念するようになった。慶長3年(1598)には石田三成と九州へ旅をし「絵をかくこと妙なる友松」と称されたという逸話も残されている。最晩年には宮中の御用を勤めた。
主な作品に慶長4年(1599)に再建された建仁寺方丈に描かれた琴棋書画図、竹林の七賢図などがある。
長浜市では5人の先人(五先賢)として知られ、出生地近くの五先賢の館では広く顕彰されています。
所在地 |
滋賀県長浜市瓜生町 Googlemapで見る |
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お問い合わせ先 |
五先賢の館 |
TEL |
0749-74-0560 |
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