賤ヶ岳と余呉湖一帯は本能寺の変による信長の亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った
賤ヶ岳の合戦場であり、周囲の山々には、今も砦跡などが残っています。
高月・木之本は観音の里として知られ、戦国時代の数々の戦火を逃れ、
民衆の手によって守りぬかれてきた数多くの観音像が今も大切に残されています。
また北陸と中山道を結ぶ北国街道が走り、北国脇往還の分岐点の宿場として賑わった木之本宿は
当時の面影を色濃く残しています。
地蔵院の門前町として栄え、北国街道と北国脇往還が交わる宿場町で、旅人と木之本のお地蔵さんの参拝客で賑わいました。 木之本宿には昭和の初めまで中央に小川が流れ、柳の木が植えられた宿場らしい風情を残していましたが、今では埋め立てられ、商家の家並みに昔の情景を残しています。
赤後寺は、湧出山(ゆるぎやま)の中腹に建ち、かつては足利尊氏から荘園を寄与され、隆盛を極めたといいます。厄を転じて利となす「転利(コロリ)観音」として親しまれており、三回参拝すれば長患いせず極楽往生できるともいわれています。毎年、7月10日の「千日会」(その日一日参拝すれば千日分の功徳があるという法要)には、全国から訪れる老若男女で賑わいます。
鶏足寺(旧飯福寺)は、735年僧行基によって開基された古寺です。いったん荒廃するも799年最澄により再興。山岳仏教の聖地として威容を誇った己高山鶏足寺別院の一つ。中世には僧兵を擁するほどの大寺で、時の権力者の庇護を受け安定した寺運を続けましたが、江戸幕府の終焉とともに衰微しました。 現在は廃寺となっており、普段は地域住民の手によって管理がなされています。
「紅葉の名所鶏足寺」として、毎年多くの方が紅葉散策に訪れることで知られています。ゆるやかな参道の石段、苔むした石垣に二百本のもみじの古木が幽玄な情景を醸し出しています。
本尊(十一面観音立像)は、己高閣(ここうかく)に安置されています。隣接する世代閣(よしろかく)とともに、重要文化財の薬師如来立像、十二神将立像のほか、滋賀県指定文化財をはじめ多くの文化財が保存されています。
賤ヶ岳の山頂から琵琶湖を眺むと、入り組んだ小さな半島と群青色の湖面が織りなす、
まるで北欧のフィヨルドのような奥琵琶湖の風景がひろがります。
その反対側には天女伝説が伝わる鏡のような湖面をもつ余呉湖が眼下に広がり、
遠く越前の山までを一望でき、多くのハイカーが訪れます。
竹生島が浮かぶ雄大な奥琵琶湖、滋賀県一の高峰・伊吹山、穏やかな湖面の反射が“日本のウユニ”と称される余呉湖など、湖北を一望できる圧巻の大パノラマが広がります。
また、琵琶湖八景の一つとして知られ、琵琶湖と余呉湖の2つの湖の景観と史跡を巡る多彩なハイキングコースが整備されています。
海津大崎から奥琵琶湖パークウェイにかけての約23kmは、滋賀県有数の桜の名所で、約3,800本の桜並木が続きます。
パークウェイの中ほどにあるつづら尾崎展望台から眺める琵琶湖や竹生島と桜のコントラストはとても美しいものです。
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