米原
- 京極氏遺跡―京極氏城館跡・弥高寺跡
- 国史跡。京極氏館跡、上平寺城跡、家臣団屋敷跡及び山岳寺院を軍事的に取り込んだ弥高寺跡から構成される。
米原
- 寝物語の里
- 近江と美濃の国境の小さな溝を隔てて並ぶ二つの旅籠に泊まった旅人が壁越しに寝ながら話をしたと伝わります。
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米原
- 北畠具行卿の墓
- 元弘の変で失脚した北畠具行の墓。清瀧寺徳源院の南、丸山(285m)の山頂にあります。国の史跡。
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米原
- 弥高寺跡
- 伊吹山四大護国寺の一寺院。戦国時代には京極氏の城郭の役割も果たしました。国の史跡になっています。
長浜
- 三成も重視した技術 国友鉄砲の里
- 国友は大坂の堺とならぶ鉄砲(火縄銃)の産地として栄え、三成ら戦国武将の注文を受けていました。
米原
- 朝妻湊跡
- 朝妻湊は古代から湖上交通の要港として発展しました。江戸中期、英一蝶が『朝妻舟』を描いたことでも有名。
米原
- 若宮氏館跡
- 「内助の功」として知られる、山内一豊の妻・千代の出生家
奥びわ湖
- 古保利古墳群
- 古保利古墳群は、「西野山」から「山本山」の尾根上約3kmにわたり分布する古墳群です。
奥びわ湖
- 法華寺跡(石田三成母の故郷)
- 関ヶ原の合戦に敗れた三成は、古橋山中に匿われましたが、徳川方の追及厳しく、村人に難儀が及ぶのをはばかり、自ら捕縛され京三条河原で生涯を閉じました。当地では、三成の善政を慕い、代々三成の遺徳が語り継がれています。
米原
- 山内一豊公母の墓
- 山内一豊の母・法秀院は、一豊と千代の出会いのきっかけとなった人物です。











































