長浜鉄道スクエアは、長浜旧駅舎、長浜鉄道文化館と北陸線電化記念館の3施設をとおして、日本の鉄道の歴史を見て、ふれて、知ることができる鉄道の博物館です。

鉄道を見て楽しもう鉄道を見て楽しもう

現存する最古の鉄道駅舎現存する最古の鉄道駅舎

子ども駅長さん

長浜に鉄道が開通した130年前の駅が見られるよ。当時の人たちの様子を見てみよう!

旧長浜駅舎は、1882(明治15)年に完成しました。

日本で初めて新橋~横浜間を鉄道が走ってから、たった10年しか経っていないころでした。現存する駅舎としては日本最古のものです。

まだ江戸時代の様子を残している当時では、とてもめずらしい洋風建物でした。

壁の厚さは50cmもあって、窓枠や出入口は当時人気のあった赤レンガを使って建てられています。

まだ「駅」がめずらしい時代だったので、たくさんの人々が陸蒸気(おかじょうき)を「一目見たい」「一度は乗ってみたいと」と長浜にやってきました。

館内では、文明開化でにぎわう当時の様子が見られます。

子ども駅長さん

POINT1建物外観

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旧長浜駅舎は、木骨構造の石灰コンクリート造りで、四隅の角は、花崗岩の切石を積み、窓枠と出入口は、レンガを使って建てられています。

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POINT2一等二等待合室

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当時の記録によると、一等二等待合室にはビロード張りクッションの長椅子3脚が置かれており、八角形の釣ランプが付いていました。

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POINT3駅長室

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初代駅長  高橋 善一氏

長浜駅の初代駅長は、後に初代東京駅長となった高橋善一氏です。(長浜駅は東京駅より前に作られていたのです。)

駅長室は机や備品、制服などを展示し、当時の様子を再現しています。

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初代駅長  高橋 善一氏

POINT4鉄道連絡船の時刻改正の広告

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鉄道連絡船の時刻改正の広告

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太閤汽船の広告

まだ、長浜より南の鉄道が開通していなかった当時は、長浜から大津までびわ湖を船で旅客や貨物を運んでいました。船は大湖汽船会社のもので鉄道連絡船として、長浜~大津間を彦根を経由して約3時間半で結んでいました。

旅客運賃は、一等、二等、三等に分かれていました。

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鉄道連絡船の時刻改正の広告

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太閤汽船の広告

鉄道模型(鉄道文化館・北陸線電化記念館)鉄道模型(鉄道文化館・北陸線電化記念館)

きみの操作で鉄道模型が走るよ。
今の長浜駅を再現したジオラマで大きな模型を走らせてみよう!

鉄道文化館にあるHOゲージの鉄道模型は、Nゲージサイズに比べて約4倍もの大きさがあります。

今の長浜駅の様子を作ったジオラマは本物そっくりで、長浜駅から電車が走り抜ける姿は迫力が満点です。

また、電化記念館には、HOゲージサイズより、もっと大きなOJゲージサイズの機関車模型も展示しています。リアルに再現した本物そっくりの鉄道模型を楽しんでください。

HOゲージ(長浜鉄道文化館)

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現在の長浜駅周辺を模して作られたジオラマ。鉄道信号も本物同様に切り替わります。

○スケール:1/87m

○軌間:16.5mm

○スケール:1/87m ○軌間:16.5mm

○展示車両:0系新幹線、113系電車  等

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Nゲージ(北陸線電化記念館)

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立体交差したジオラマの中を新幹線や人気の電車が走り抜けます。

○スケール:1/150m

○軌間:9mm

○スケール:1/150m ○軌間:9mm

○展示車両:800系新幹線、N700系新幹線  等

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OJゲージ(北陸線電化記念館)

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鉄道模型コレクターに人気の車種(EF13/EF55)をならべて展示しています。

○スケール:1/45

○軌間:24mm

○スケール:1/45 ○軌間:24mm

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展望デッキ(北陸電化記念館)展望デッキ(北陸電化記念館)

デッキの目の前は本物の線路。目の前を走ぬける北陸線の電車が見えるよ。

展望デッキは、北陸線の線路のすぐそば。

目の前に電車を間近で見られ、走りぬける瞬間の迫力、音、風を体験してみることができます。さらにデッキの先に見える線路には、現在の長浜駅構内の様子や踏み切りを通過する電車の様子も見ることができます。

写真の撮影ポイントとしてもバッチリです。

デッキから見える電車 (一部)
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新快速 223系
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特急しらさぎ 683系
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普通 521系

旧長浜駅舎とは?

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鹿鳴館調の手すり

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レンガをはめ込んだ窓

旧長浜駅舎は、東西24.5m、南北9.7m、木骨構造の明治初期としては画期的な石灰コンクリート造り2階建ての建物です。外壁はコンクリート素面仕上げで、壁の厚さは50cmもあります。四隅の角は花崗岩の切石を積み、窓枠と出入口は、レンガを使っています。1階は駅事務所と待合室、2階は敦賀線の管理を扱った鉄道事務部門がありました。1階2階ともに暖炉が設けられ、回り階段、彫刻入りの欄干など鹿鳴館調の建築様式で、まちの人々を驚かせた西洋館でした。

当時、「駅」という新しい機能をもった公共建築は珍しく、イギリス人技師のホルサムが設計を担当しました。また、ホルサムの監督のもと神戸の稲葉弥助が工事を請け負ったという記録が残っています。

明治36年に2代目駅舎が完成してからは倉庫として使われ、昭和33年に第1回の鉄道記念物に指定されました。

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鹿鳴館調の手すり

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レンガをはめ込んだ窓

鉄道にかけた町衆

イメージ明治の長浜駅周辺ジオラマ

当時の日本では、陸蒸気のことを「煙を吐く怪物」として敬遠する流れがありました。そんな中で長浜の町民は政府に対し、「ステーション設置願い」を出して、駅の誘致に熱心に取り組みました。

長浜商人たちは、生糸の外国貿易などで江戸へ頻繁に出入りをしていましたが、陸蒸気(おかじょうき)の走るさまを見て「これからの時代はこれだ!」と鉄道の将来性と有効性を見ぬき、町の発展には絶対に必要だと思ったのでしょう。こうした先見の明により、長浜は鉄道のまちとして大いににぎわいました。

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明治の長浜駅周辺ジオラマ

にぎわう鉄道のまち・長浜

イメージ出礼出入口

長浜駅は、駅舎の東側に旅客ホーム、西に貨物倉庫が設けられ、その西に連絡船が接岸しました。

この地を走った機関車は急勾配線用として特別にイギリスで製造されたもので、けん引力が強く、長浜~敦賀間と、長浜~関ヶ原間を走りました。陸蒸気の運転は一日2往復、客車と貨車が混結された平均8両編成で、長浜~敦賀間の運賃は40銭でした。日本酒1・8リットルが5銭の時代ですから、鉄道運賃は相当高いものでした。しかし、30人乗りの客車には、運びきれないほどの客があったようです。

また、駅付近には28軒の旅人宿が軒を連ね、運送店は15店、飛脚業は4軒、人力車は72両を数えました。仲仕と呼ばれる荷役作業員も多くいました。陸蒸気を一目見たい、一度乗りたい、という人たちもたくさん訪れ、カフェ(喫茶店)や料理屋などの商店も急増し、長浜は鉄道のまちとして活気にあふれました。今も数多く残る引き札(昔の広告チラシ)が長浜の活気を物語っています。

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出礼出入口