My旅リストに追加しました。
Close

にしあざい れきしたんぼう
【西浅井町】歴史探訪

古代から近世に至るまで、交通の要衝として栄えた塩津海道や、独自の歴史文化を持つ菅浦など、様々な歴史が紡がれてきた舞台の息吹を感じてみませんか。


■塩津海道

古代から近世にかけて、北陸から陸路で運ばれた物資は西浅井の港で「丸子船」と呼ばれる船舶に積み替えられ、都へと運ばれました。
特に塩津港と敦賀を結ぶ道は「塩津海道」として栄え、塩津浜は宿場町として賑わいました。
塩津神社は旅人が安全を祈願した場所で、紫式部も北陸へ赴く際に訪れたとされています。
塩津浜を出発した旅人は深坂峠を越える「深坂古道」を経て敦賀に向かいました。急な深坂峠は難所として有名で、旅人は道中にある「深坂地蔵」で安全祈願をし、塩をそなえたとされています。この地蔵は平安時代、平清盛・平重盛により行われた塩津から敦賀までの運河を掘る工事が中止となった際に安置されたことから、別名「堀止地蔵」とよばれています。

★北淡海・丸子船の館     ★塩津海道     
    

 ★塩津神社             ★深坂古道
     

 


■菅浦

永原駅を南に下り、美しい奥びわ湖を臨む道を進むと風光明媚な湖岸集落「菅浦」にたどり着きます。
菅浦は周囲を湖と山に囲まれ、その地形ゆえに独自の歴史と文化を育んできました。
中世には、「惣(そう)」といわれる当時としては稀有であった自治的村落を形成し、住民による自治が発達してきました。村の境界を示す門「四足門」や、1,200点に及ぶ史料「菅浦文書」などが現代まで残されています。
西の四足門をくぐると、かつてこの地に隠れ住んでいたと伝えられる淳仁天皇を祀る「須賀神社」があります。本社は清浄が保たれ、村では手水舎より先は裸足で参拝するしきたりとなっています。
参道を登ると右手に見える「菅浦郷土史料館」では、菅浦文書のレプリカや、かつて境界をめぐる争いが続いた大浦庄との境を示す菅浦与大浦下庄堺絵図などの貴重な史料が展示されています。
「惣」により維持されてきた集落は今もところどころにその姿を留めており、平成26年には国の重要文化的景観に選定されました。

★菅浦           ★須賀神社          
  

★菅浦郷土資料館


■奥びわ湖の仏さま

「観音の里」長浜。
奥びわ湖にも平安時代から守り継がれてきた仏さまがあります。
善隆寺には井上靖の小説「星と祭」にも登場する十一面観音立像と、600年ほど前に夢で観音様のお告げを受けた村の人によりとなりの庄地区から移されたと伝わる木造の仏頭がいらっしゃいます。
大浦腹帯観音堂の十一面観音立像はお腹に帯が巻かれており、その帯をいただくと安産すると伝えられています。

詳しくはこちら↓
★善隆寺(和蔵堂)     ★大浦腹帯観音堂
                 

★奥びわ湖の仏さまについてもっと知りたい方はコチラ↓↓
拝観スポット│観音の里・長浜 (kitabiwako.jp)


JR湖西線を利用しよう!特設ページに戻る

お問い合わせ先

公益社団法人長浜観光協会

TEL

0749-53-2650
kankou@kitabiwako.jp

施設情報・料金等の最新情報は直接ご確認ください

Copyright 2023 長浜・米原を楽しむ観光情報サイト All rights reserved.